2012/10/31

サンローランとニュートン

 
 
80-90年代、ファッションの世界に夢中で
それも超一流のパリコレやらデザイナーの服を
眺めるのが大好きでした。
(注:眺めるだけ)
 
ショーの番組は欠かさず録画していました。
当時は日本も世界も好景気で
デザインの豪華さも演出もモデルも最高の時代。
 
一番好きなデザイナーは
イヴ・サンローランでした。
自伝を買って読んだりもしました。
サンローランのParisという香水も大好きでした。
 
自分にとってこれからもサンローラン以上に好きな
デザイナーは現れないと思います。
「サンローラン」と「その他デザイナー」
そんな存在でした。
彼が引退、そしてこの世を去ってから
あまりデザイナーの世界に興味がなくなりました。
 
サンローランと聞いてすぐ浮かぶのが
ヘルムート・ニュートンが撮影したこの写真。

 

肩が少し反り上がった独特のシルエットの
ジャケットは憧れです。
このモデルの美しさといい
背景の世界といい
煙草を持つ仕草といい
漂うエロティックさといい
これ以上のものがあるでしょうか。
 
そう思う程、大好きな写真です。
いつ見ても鳥肌が立ちます。
 
ヘルムート・ニュートンを知ったきっかけもこの写真。
 
20代の頃、母とお買い物をしていて一目惚れした
サンローランの紺色のコート。
とても有り得ない金額。
(当時の給料2か月分)
「試着だけでも」と店員さんの魔法にかけられ
孫にも衣装の私を見て母が「半分出すわよ」と
言いつつ、殆ど出費してくれたコート。
(いまだに実家に保管してあります)
 
ベルリンで滞在したホテルの通りには
ヘルムート・ニュートン・ミュージアムがありました。
時間がなくて行けなかったのが残念。
 
<おまけ>
ヌード女性とのもあったのですね。
1975年、パリの裏路地で撮影されたとか。
 
 

2012/10/29

ベルリン旅行記㉓(あれこれ:買い物)

 
 
今回の旅行で唯一失敗したのが「買い物」でした。
 
買い物とは言ってもブランド品を買うとか
そういった興味は全くなく、
ドイツならではの日用品を買いかったのです。
 
少し時間があった最終日が日曜でお店は全てお休み。
全滅。
 
ドラッグストア行けばよかった~。
ニベア(ニベアはドイツ生まれ)の日本では売ってない
アンチエイジング・スキンケア製品を狙っていたのに・・・。
 
そんなわけでお土産は全て空港の免税店で調達でした。
アンペルマンの小物や
ファーバー・カステルの子供用万年筆とか。
フィンランド製の木で出来たネックレスやマグカップなど。
 
しかし唯一、気づいた時に買って正解だったのが
これも狙っていたドイツとロンドンでしか売っていない
これを使ったからといって私がディータのように
なれる確率は皆無ですが、メイクボックスに入れたい。




発色抜群、粉の質もいいです♪

Duglasというベルリンのあちこちにある化粧品店を
覗いたらありました。かなり売れてるみたいで即買いしてよかった。
 
香水も湿度の高い東京でつけたら酔いそうな香りですが
いいんです。ハンカチにしのばせて気分だけでもディータ。
 
その他自分用では愛用のALEXANDRE DE PARIS
ヘアアクセサリー。
日本にはないデザインがたくさんありました。
 
今回最高の自分みやげは
過ごした時間全てと
カヴァコスとのミラクル写真。
 
デスクトップから待ち受けまで!
 
この写真を見るたびに
ベルリンで出会った全ての人達や
触れる事ができたもの、
幸運に心から感謝の気持ちが蘇ります。
 
ベルリンありがとう!!

ベルリン旅行記㉒(あれこれ:地下鉄)

 
 
たった4日間の滞在でしたが
今振り返ると、よくもこんなに廻って楽しんだのだと
自分でも感心しています。
 
とにかく「ツイテル」旅行でした。
こんなに恵まれていていいんだろうかと思った位。
いつも部屋の灯りを消す時「ありがとうございます!」と
言わずには寝れませんでした。
 
今回はじっくりベルリンの観光は出来ませんでしたが
印象に残った事を。
 
「地下鉄に改札がない!」

気づいたら手ぶらで既にホームにいる!
気をつけましょう。

これには驚きました。
もちろん切符は自販や窓口で購入しますが
改札がないんです。
地下鉄入口から地下に入り、切符を買って
行き先のホームに向かう、あれ、列車が来た、あれ
ここは既にホームだ!?
 
うっかり切符を買うのを忘れて
そのまま乗車しようと思えば乗れるんです。
ただし、私服の抜き打ち係り員に見つかったら
高額の罰金など
厳しい処分が待っています。
 

ゴミ一つ落ちてない車内。
山手線や丸ノ内線とはエライ違いです。

路線図もわかいやすい♪

実はホームに小さな打刻機があり
そこに買った切符を差し込むと時刻が打刻されます。
それが改札の代わりです。
 
まさに「信頼」で成り立っているんですね。
さすが真面目な国ドイツ、という事なんでしょうか。
他の大都市では考えられないですね。
驚きました。感心、感心。


ベルリン旅行記㉑(ベルリン・フィル演奏会・最終日)



いよいよ今夜がベルリン・フィル旅行のフィナーレ。
 
一昨日から3夜連続の定期演奏会の最終日です。
先日の様子はこちら
 
大好きなパユさんのフルート独奏や
夢のベートーヴェン、また今夜も聴けるなんて!
 
そして今夜は生中継の日。
ベルリン・フィル自慢のデジタル・コンサート・ホールでは
定期演奏会を全世界に生中継しています。
私も毎日欠かさずテレビで楽しんています。
その為CDを聴く機会が殆ど減りました。
カヴァコスが登場したり、翌日休みの日は
朝3時に起きて生中継を楽しんでいます。


ロビーではデジタルコンサート・ホールのブースもあり
宣伝していました。
最近はソニーが技術提携し、さらに音質や画質が
アップしたそうです。
ベルリン・フィルとソニーの友好的な関係は
カラヤン時代からあるんですね。
日本人として嬉しい限り。
私のテレビもたまたまソニー製だったので
デジタルコンサート・ホールはいとも簡単に
つながりました(笑)。
 
 
 
会場に着いて、再びショップを覗きお買い物。
思い残しがないよう、会場の隅々を探検しました。
フィルハーモニーにはなんともいえないぬくもりがあります。
豪華な歌劇場とは正反対でシンプルで贅沢な装飾はなし。
ところが私たちを音楽を同じ目線で結びつけてくれる
出会いの場でもあります。
世界最高の音楽を惜しみなく皆で分かち合いましょう
という思いが伝わります。


今日の席は左側。前回より後ろですが
それでもステージに近い。
きっとステージの高さが日本の基準よりかなり低いので
近くに感じるのでしょう。
すぐ右には生中継用のカメラ。
この会場にはたくさんのカメラが設置してありますが
全て無人で内部でコントロールしています。
 

 
いよいよ始まりました。
再び華麗なハイドン、さらにハイテンションの
パユさんの独奏、そして最後のベートーヴェン7番。
1回目よりさらに迫力がありました。
ジェットコースターに乗ってるみたいに感じた1回目でしたが
今夜はさらに嵐の中のジェットコースターという感じ。
すごい盛り上がりで終わりました。
 
指揮者のラトルさんも何度もステージに
出てきてくれ大喝采。
 
 
あ~終わっちゃった。
胸いっぱい&既にさみしい気持ちで
会場を出ました。
 
暗闇に浮かび上がる黄色のフィルハーモニーを見ながら
「またね!」と誓いました。


 
写真集のような立派なシーズン・プログラム(厚さ2センチ!)
 
 

ベルリン旅行記⑳(「絵画館」再び)

 
 
 
ドイツ映画の世界に浸った後は
早足で「絵画館」へ。



いよいよ明日早朝には帰国。
「1分でも多く見たい聴きたい会いたい」
(今回は「食べたい」は一切消えていました)
 
ふらり訪れてあの「シモネッタ」に会えた
絵画館、今日はフルで鑑賞したいと思いました。
とはいっても夜のコンサートまで残り数時間。
 
再び「美しきシモネッタの肖像」とヴィーナスの部屋を眺め、
急ぎ足でまわりました。


 
 

本当にこの美術館はすごいです。
出てくる出てくる、名画の数々。
 
きっとこのうち1枚でも日本に来たら
上野でチケット買って外で入館に数時間待ち、
やっと絵の前に来たら「止まらないで進んでくださ~い」
と数秒のご対面になりそうな名画ばかり。
 


 
日曜だというのに空いていて
長椅子に座って独占状態です。
なんて贅沢。フェルメールの絵を独り占めできました!




途中からは時間がなくなり
走って移動してとにかく1周して一通りまわりました。
あのソーセージをもう一度食べたかったけど・・・。
 
ベルリン・フィルのフィルハーモニーから徒歩1分?
というか道路挟んで隣りです。
 
絵画館で名画に触れて
そこのカフェでソーセージを食べて
フィルハーモニーへ。
今回のベストなお気に入りコースです。

2012/10/26

ベルリン旅行記⑲(映画博物館)

 
 
いよいよ、ベルリン滞在最終日(4日目)。

夜はベルリン・フィル公演2回目が待っています。

その前に、今回せっかくドイツなのだから
本場のオーガニック化粧品など買おうと思って
いたのですが、いざ最終日に買い物しようしたら
日曜でどのお店も見事に閉店でした・・・。
ああ失敗。

この日、コンサートの前に行くところは
決めていました。


先日ちょっと寄っただけの「絵画館」
そしてソニーセンターにある「映画博物館」です。
朝10時にホテルを出て
ポツダム広場に行きました。

映画博物館はソニーセンターの中にある
ベルリンと縁のある映画の歴史やスターが勢ぞろい。
特にマレーネ・デートリッヒの衣装コレクションは有名だとか。

エントランスに入るとそのカッコよさに驚きです。
床も天井も合わせ鏡のような仕掛けで
自分があちこちに移り、3D迷路のようです。

斬新なエントランス!


ずっと見てると酔います!
 
なんか見覚えのある白黒ホラー映画が見えたと思ったら
カリガリ博士」でした!


やはりすごい演出。
「ドイツ」って感じです!!
帰国したらこれはDVDを買ってじっくりみたいと
思ったのでした。
淀川長治さんの感想がまさにこの映画の魅力を
表しているので是非こちらを。
 
そして「メトロポリス」も登場!



アンドロイトだ!

もう好きなものばっかり出てくる。
意識してなかったけどベルリン・フィルだけじゃなく
自分はドイツ芸術や文化に親しんできたんだなと気づきました。
 
これらの映画は1920年代。
その後のハリウッド映画などに多大な影響を与えたのが
いうまでもありません。
この映画を参考にハリウッド映画の名作が
生まれたと言ってもいいかも。
 
 
この博物館の自慢である
マレーネ・デートリヒのコーナーは
彼女の代表作で使われた豪華な衣装が。
大柄な女性だったのがよくわかりました。
化粧道具や靴、そして手紙など充実したコレクション。
 
彼女のラブレターを読んで
ウルっときました。

本当は撮影禁止です。(すみません)

この頃のドイツ映画は無敵。
ヒトラーが登場しなかったらドイツの映画史は
どんな風になっていたのでしょう。
 
マレーネの人生も大きく違ったのでしょう。
 
ソニーセンターでちょっと休憩する時、
是非、お立ち寄りください。
 
ちょっと覗くつもりが・・・。



2012/10/18

ベルリン旅行記⑱(悲劇を繰り返さない為に)

 
 
 
 
芸術的文化が大変豊かで
お洒落な都会のベルリン。
そして中村さんのガイドのお陰で
ベルリンの悲劇的な部分も覗く事ができました。
 
今回私が見たのは一部分ですが
やはり衝撃的でした。
映画や本でなんとなく知っていた事実を
こうして目の前にしたり、その場を歩いたり。
 
ベルリンには他の国のように
戦争の悲劇を忘れない為の
資料館などもたくさんあります。
 
同様に普通に歩いていて足元を見ると壁の跡があったり
ナチスの銃弾の跡が残る
ユダヤ人の建物がお洒落なエリアに
あったりします。

リアルな銃弾の跡

「つまずきの石」と呼ばれるものがあります。
1992年にあるアーティストが始めたもので
かつてそのエリアに住んでいたユダヤ人の名前や
亡くなった年月などを刻んだ石を路に埋めています。
まだ増えているとの事。

「つまずきの石」

ベルリンは世界中から芸術家が集まり
新しい感覚のアートでも活気があります。

 
かつでユダヤ人が身を隠しながら
働いていた工房跡の窓の外には現代アートのオブジェが見えます。
 

正面には斬新なモダンアートのオブジェ、
美味しいコーヒーを飲みながら足元には
「つまずきの石」
 
もっともっとベルリンについて
知りたいと思うのでした。
 
「帰国したらベルリンの歴史勉強したい!」
と思いました。


2012/10/17

ベルリン旅行記⑰(涙の宮殿)



東西分裂時代の跡が残るエリアを歩いて
人々の悲しみに触れた場所
「涙の宮殿」と呼ばれた国境検問所跡です。


 
東西に引き裂かれた家族や親戚、恋人達。
東側の住民はここで西側から訪れた人達と
別れ際に涙を流す場面から、この名前がついたそうです。
 
西の人達だけでなく、国籍を問わず
東ベルリンを訪れる為に、ここでパスポートや
荷物のチェックを受けなくてはならず
日本人でも東ドイツに行くためにこの場所を経験した人も
多いとか。
 
東ドイツの国章には3つのモチーフ
ハンマー(労働者)
コンパス(知識人)
麦(農民)

ドイツ民主共和国=「東ドイツ」

 
現在は博物館的に展示されており
当時の様子を写真や私物などが並んでいます。
パスポートを見せて、チェックを受ける狭い
カウンターや東への扉などが残っています。



 
この場所の近くの駅も
当時の面影を残す駅。
 
まだ20年ちょっと前の現実。
 
当時、ここで涙を流した人達は
今、この場所をどんな思いで見ているのでしょう。

ベルリン旅行記⑯(ベルリンの壁)



ベルリンの壁。

ベルリンを聞いてこの「壁」を真っ先に浮かべる方も
多いのでは。

第二次世界大戦後、西ベルリンは英、米、仏
東ベルリンはソ連にと分割占領。
いろいろな不満から東から西に流出する人が多く、
それを阻止する為に突然できたのが「ベルリンの壁」
 
 

1961年8月13日
東ベルリンは西ベルリンに通じる路全てを
一夜にして封鎖。
容赦なく家族や恋人、友人が引き裂かれた悲劇の始まりです。
1989年11月10日の崩壊までの足跡をたどりました。

 
ベルナウアー通りという場所にある
「ベルリンの壁ドキュメントセンター」に
案内してもらいました。


高い位置から当時とのままの状態が見れます。
もちろんその場を歩く事もでき、やはり独特の空気感。
 
ここはトンネルを掘って国境を越えたり


東ドイツの警察官自ら西へ逃げたり
(その瞬間を捉えた有名な写真がアパートの壁一面に
描かれています。後にこの警官は自ら命を絶ってしまったそうです)

自ら逃亡してしまった東ドイツの警備官。

アパートから飛び降りで命を失った人も何名かいたとか。
そして壁の奥側には西へ逃げようと壁を超え
命を落とした人の写真が並んでいました。
全部で192名だそうです。
 
地下鉄への階段にも壁があった場所だと
伝える文字が刻まれています。
 
壁の多くは破壊されましたが
壁の「跡」はしっかり残してあり、それをたどると
西ベルリン1周できるそうです。


2012/10/15

ベルリン旅行記⑮(美味しいレストラン)




「ところでゆっくり食事はしたの?」
 
ベルリン旅行記を読んでくれてる友達から
聞かれました。
 
夕方5時まで食事を忘れる毎日だったのは事実ですが
中村さんのガイド付きの日だけは
せっかくなので「ドイツならではの食事」という目的を持って
レストランに案内してもらいました。
 
なんて発音するのかわかりませんが(笑)
有名な老舗ビアホール・レストランだとか。
俳優や政府の人などセレブが訪れた時の写真が壁いっぱい。
オープンな明るい雰囲気。
あっという間に店内は満席でした。
もともとはボンの政府の方の御用達ビアレストランとして
生まれたそうです。



ドイツ料理といえばお肉のイメージ。
もちろんソーセージとか。
ベルリンに来て既にソーセージはいただきましたが
本当に美味しい。思ったより薄味で上品です。
 
中村さんオススメのメニューを注文。
 
酢漬けの牛肉の煮込み料理。
お肉が柔らかく、見かけと違いあっさりしています。
まろやかてとっても優しいお味!


 
お肉の付け合せがジャガイモ団子。
マッシュポテトのように見えますが
モチモチっとした食感でドイツ料理には欠かせないとか。
 
パリっとした薄皮に玉ねぎやシーフードがのった
ピザのような料理。
これも絶品でした!



サラダの野菜も新鮮で美味しかったです。
 
量はやはりボリュームがあります。
 
飲み物はもちろんドイツ・ビール!
それがアルコールが苦手なため残念・・・。
ところが中村さんがユニークな飲み物を
教えてくれたのでそれを注文しました。
 
Vita Cola
ご想像の通り、コーラに似せたもの。
東ドイツ時代、アメリカのコーラが手に入らなく
それを求めて作ったものだとか。
ボトルのデザインなどちょっぴりノスタルジック。



で、お味ですが炭酸が抜けたコーラのような・・・。
美味しい!とは正直思えませんでしたが
「ほっこり」???
 
今思えば、記念に空き瓶を持って帰ればよかった。

 
 
ゆっくりと美味しい食事をしながら
中村さんからベルリン・フィルの話や
生活、歴史なと楽しいお話をたくさん
聞かせていただきました。
 
ああ~満足満足!!
 
さあ、休憩をエネルギーをチャージして
ガイドツアーの後半。
いよいよ「ベルリンの壁」です。